「B級グルメ」は、安価で日常的に食べられている庶民的な飲食物のこと。
このページではA級・B級にこだわらず、
地域の人々に親しまれている食材を使った料理や、
地域の人々から愛されてきた料理の「ご当地グルメ」をご紹介しています。
五色そうめん株式会社森川
愛媛県東温市南方2283-1(2004年9月21日~)
(旧)愛媛県温泉郡川内町大字南方2283-1
TEL(089)966-5511 FAX(089)966-5588

多くの人から称賛を得た
色鮮やかな素麺

 寛永12年(1635)、伊勢桑名藩から松山藩へ移封となった松山初代藩主・松平定行には多くの商工業者が随行してきた。「五色そうめん」は、彼らがつくった愛媛の名産品である。
 享保7年(1722)、八代目長門屋市左衛門の娘が、家内安全と商売繁昌を願って椿神社に詣でたとき、境内で五色の糸が下駄に絡まった。これを神の啓示と受け取り、五色の素麺づくりをはじめたという。 
 市左衛門は、緑(青)の麺にはくちなしと高菜を組み合わせ、赤い素麺には紅花、黄色い麺にはくちなし、濃紺(黒)の麺には高菜を使い、白とあわせて美しい五色の素麺を生みだした。
 素麺は、奈良時代に唐から伝来した「索餅」で、七夕に食べると病にかからないという中国の故事にならい、宮廷で食べられていたという。
 江戸時代の百科事典『和漢三才図会』には「備州(岡山)の三原、奥州(東北)の三春より出るもの、細白にして美なり。予州(愛媛)、阿州(徳島)も亦た劣らず。和州(奈良)三輪、古より名物と雖へども佳ならず。摂州(大阪)大坂最も多く之を造る」とあり、伊予の素麺(五色そうめん)は素麺の上物と褒められている。
  八代将軍・徳川吉宗は、松山五代藩主・松平定英から「五色そうめん」の献上を受け、「美麗五色は唐糸の如し」と讃えた。
 また、近松門左衛門は、松山市北松前町の酒造業・豊前屋後藤小左衛門から「五色そうめん」が贈られた際の礼状に「五色そうめんは食べるより、まず美しさを楽しんでいる。冬日に映える遊糸のようで、まだ食べていない。朝晩近くにおいて、眺めるばかり。よほどの珍客がこなければ、食べるわけにはいかず、食べる時をずっと待っている」と記している。
 文化年間(1804~18)に道後で誕生し、上方で謡われ、幕末には流行唄となった「伊予節」にも「音に名高き五色そうめん」と謡われている。
 三百年にも及ぶ歴史を持つ「五色そうめん」は、現在でも梅肉、鶏卵、そば粉、抹茶、山芋などの天然色素を利用している。冬にも「にゅうめん」で、伝統の味を楽しみたい逸品だ。

四国B級ご当地グルメ連携協議会(四B連)
一般社団法人 四B連企画
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